過ぎ去る芸術の秋

2012/10/27 mito

美味しそうなオムレツ型の月からさらに丸みをおび、日に日に満月に近づいていく秋の夜。皆様いかがおすごしでしょうか。

 

さて、ここでも紹介させていただいた中目黒での個展

「七宝焼に恋をして」

が無事に終了してからもうすぐに一ヶ月が過ぎようとしています。

改めて、いらしていただいた皆様にお礼をお伝えしたいです。

ありがとうございました。

沢山の人に足をお運びいただいて、オープニングに素敵な演奏もしていただいて、(大好きなスーダラ少年さんの音楽と自分の作品が同じ空間に!)新しい出会いもあり幸せな一週間となりました。

作家、クリエイター、アーティスト、デザイナー。いろんな呼び名がありますが、

物を作る人間として、あのような発表の場をもつことは大切な事であり、エネルギーの源になるのだなと改めて確認。

お客様と直にお会いできる機会も最近は少なくなってきましたので、貴重なご意見を伺うことができたのも、とてもありがたかったです。

 

そして個展の後、間髪入れずに最終仕上げにとりかかった

日本七宝指導者教会の「第36回教会展」

が先日24日に初日を迎え、アクセサリー、平面、立体作品と3品提出したうちのひとつ、立体作品の

「かつては男」

で奨励賞を受賞。

 

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この作品、手を付け始めたのは2011年の冬の終わり頃。

ですが2011年春に急遽ドイツに一年行く事を決めてしまったため、ものすんごく中途半端な状態で丸一年放置してありました。

下地(土台?)まではできていた状態だったので、デザインはドイツに滞在している間気がつけば毎日のように悩んでいましたがなかなか決まらず。

結局帰国直前に浮かんだものを2012年4月からカタチにしだし、愛すべき作品として仕上げる事が出来ました。

どのような想い、イメージがこもっているのか、個人的には他の作家さんの作品を見る際にはあまり知りたくない情報なのですが、(作り手さんの主観よりも、見る人が感じたことがすべてだとおもっているので)今回は少し記したいとおもいます。

私と同意見の方もいらっしゃるとおもうので、文末に記しますね。興味を持ってくれた方は最後までおつきあいくださいませ。

今回はもともとの追い込まれないとアクセルのかからない面倒な性分に加え、個展準備との平行した制作を行ったためいつも以上に苦しめられ、8月の終わり頃からずっとそわそわ生活。

そんな生活が一段落し、ここ2、3日は逆にぽっかりとガランドウな状態でした。

ですが本日、落ち着いた心でもう一度会場(東京駅近くの田中画廊さん)に出向いて自分の作った物を見て安心する事が出来ました。賞、頂くべくして頂いたと。自信を持って自慢できる作品だと。

私の中での2大イベント、個展、そして日本七宝指導者教会の教会展。

沢山の人に手を差し伸べていただいて、成し遂げる事が出来たことです。

大好きな事を、大事な愛しい人達にかこまれて出来ている事を感謝せずにはいられません。

 

今日、この日記を書き始めた際は何故七宝焼に魅力を感じ、制作をしているのか。

ということをテーマにしようとしていたのですが近況を振り返っていたらずいぶんと長くなってしまったのでそれはまた次回させていただきます。

ではでは、ここから先は「かつては男」の説明になりますのでお好みで。

 

 

「かつては男」

私としては珍しく題名を決めてからデザインを起こし始めた作品。

誰しもがきっと一度は想ってしまった事の有る悲しい気持ちをカタチにしようと試みたものです。人とは比較のしようがない「もう嫌んなっちゃった」 「何もかももうどーだっていい」そんな言葉では表しようの無いどん底に落ちた時、引きずり込まれそうになる境地、場所を、この作品では人間してるの疲れて しまった男の人が植物化していく様子として描きました。

あきらめた、しかしまだ、ついさっきまで身を置いていた世界に未練が残り意識もある。都会から離れた自然の中に浮かぶ月は、今すぐに消えてなくなってしまいたいと願う彼には明るすぎ眩しく、覆い隠してしまおうと不可能を承知でツタを絡ませながらも手を伸ばす。

 

植物のモチーフは図書館で立ち読みした名前は忘れてしまったけれど、食虫植物のしゃもじ型。

日頃から感じている「綺麗な物」は「綺麗なモノ」だけじゃないということも盛り込みたいという願いもありました。

あとは伝統工芸品を扱う者としての個人的で勝手なエゴと意地ですが、従来の七宝焼立体作品のほとんどは時代を遡ってみても焼成、磨き。と仕上げ作業をした後に、淵の部分に「覆輪(ふくりん)」と呼ばれる銀色の淵を後づけで専門の職人さんにお願いしてつけてもらう事が多いのですが、それは他の伝統工芸作家さんに言わせると「粗隠し」または「七宝焼は完成された技法ではない」などと言われる事があります。

何故覆輪をつける作家さんが多いのかといいますと、それは事実あら隠しの場合も多く(私も過去の3つの立体作品は覆輪をつけないと見られないような 仕上がりでした。淵の部分は温度調節が難しくかなり繊細な部分なのです。)高級感を出すためにつけるという場合もありますがそれにしてもそんなことを言わ れるのはくやしい。

てな訳で、今回は絶対に覆輪無しで仕上げてみせる!と意気込んだものでした。

結果綺麗に地金である銅を研ぎ出す事ができ、満足のいく仕上がりということです。

 

以上!最後は少し専門的な技法の話となり長くなりましたがここらで締めとさせていただきます。

秋の夜長に温かいミルクティーでも飲みながらのんびり読書なんて最高なことをいつの夜にしようかと企みつつ、今夜も少し制作の準備をいたします。

では!